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長崎地方裁判所 昭和58年(行ウ)2号 判決 1987年8月07日

原告

木下ハルエ

右訴訟代理人弁護士

福崎博孝

右同

浅井敞

右同

石井精二

右同

稲村晴夫

右同

岩城邦治

右同

小野正章

右同

鴨川裕司

右同

金子寛道

右同

河西龍太郎

右同

椛島敏雅

右同

熊谷悟郎

右同

塩塚節夫

右同

龍田紘一朗

右同

筒井丈夫

右同

中村尚達

右同

本多俊之

右同

森永正

右同

安田寿朗

右同

山田富康

右同

山元昭則

右同

横山茂樹

右同

嶺亨祐

被告

江迎労働基準監督署長右近守

右訴訟代理人指定代理人

安齋隆

右同

篠﨑和人

右同

浜屋和宏

右同

河野善久

右同

的野義文

右同

清水啓次

右同

吉村宏人

右同

吉田稔美

右同

松下徹夫

右同

金子勝則

右同

小島従美

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五五年一月一四日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償年金および葬祭料の支給をしない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡木下安次郎(以下「亡安次郎」という。)は、大正四年一〇月一五日出生し、尋常小学校卒業後昭和七年から同一二年まで福岡県の炭坑で採炭夫として働き、同一六年から長崎県北松浦郡江迎町所在の住友石炭鉱業株式会社潜龍炭坑において、支柱夫として粉じん作業に従事し、同二六年一一月坑内作業による過労等のために眼を悪くして同炭坑を退職した。

2  亡安次郎は、昭和三八年ころから呼吸困難、咳、痰に悩まされるようになり、同四七年五月医療法人十全会江迎病院(以下「江迎病院」という。)に受診したところ、じん肺結核症と診断され、直ちに同病院に入院し、同年九月一日じん肺管理区分四と認定された。

その後も、同人の症状は悪化し続け、じん肺を原因とする肺炎もしくは脳梗塞により、またはじん肺により肺炎もしくは脳梗塞を悪化させ、同五四年八月一八日に死亡した。

3  原告は、亡安次郎の妻であって、同人の死亡当時その収入によって生計を維持し、また、同人の葬祭を主催したものである。

4  原告は、昭和五四年八月被告に対して、亡安次郎の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付および葬祭料を請求したところ、被告は、同五五年一月一四日亡安次郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右各給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、その旨原告に通知した。

原告は、本件処分を不服として、長崎労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同五六年一月八日付で棄却され、さらに同年三月四日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同五七年一二月二三日付で棄却の裁決がなされ、同五八年三月二日その旨の通知を受けた。

5  しかしながら、亡安次郎の死亡は、以下に述べるとおり労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」によるものということができ、業務上の事由によるものであるから、本件処分は違法である。

なお、右業務上の判断にあたっては、「被災者が粉じん作業に従事し、じん肺症に罹患したこと」と「右じん肺症およびそれを基盤とする各種合併症に影響され、その影響下に被災者が死亡したこと」との間に合理的な関連性があれば足り、じん肺と死因との間に相当因果関係があることまでは要しないものと解すべきである。

(一) 亡安次郎のじん肺の程度

以下の諸事情によれば、亡安次郎の死亡当時、同人のじん肺は、それ自体によって死亡することも考えられる程度に極めて重篤であった。

(1) 前記のとおり、亡安次郎の粉じん職歴は一五年以上の長きにわたっており、いわゆる重症の炭坑夫じん肺に罹患する素地は十分であった。

(2) 亡安次郎の昭和四七年から同五四年にかけての各じん肺健康診断結果証明書によれば、同人の胸部エックス線写真の像は、いずれも、じん肺の第二型または第三型とされており、同四七年九月一日の行政認定でも第三型と認定されている。

ところで、亡安次郎のような炭坑夫じん肺の場合は典型けい肺に比べて繊(ママ)維化の程度が弱く、胸部エックス線写真における陰影は小さいことが多いが、右写真に現われにくい気管支変化、気腫性変化は強く、じん肺の重症度を右エックス線写真像のみから決することはできない。

(3) 亡安次郎の肺機能検査の結果によれば、昭和五四年二月一五日(当時六三歳)時点において、パーセント肺活量が五七・七%、V25/身長が〇・二五であって、じん肺ハンドブックにいう「著しい肺機能障害がある」という基準に該当している。また、肺胞気・動脈血酸素分圧較差測定の成績も三三・六二TORRと限界値に近い値である。

(4) 亡安次郎がじん肺の末期的症状である肺性心の状態にあったかどうかは、心房細動のため肺性Pが心電図上判読できず、確定診断はできないが、心電図上一過性右脚ブロックから恒久性右脚ブロックへの増悪傾向が認められ、肺性心の疑いがある。

(二) じん肺の合併症としての急性肺炎による死亡

(1) 以下の諸事実からみて、亡安次郎は急性肺炎により死亡したものである。

(ア) 亡安次郎は、昭和五四年八月一七日、江迎病院入院直後から高熱を発し、同日は三八度から三九度の発熱が続き、翌一八日は未明から死亡した午後一時四五分に至るまで、三九度ないし四〇度の異常な高熱が続いた。

(イ) 亡安次郎の昭和五四年八月一七日撮影の胸部エックス線写真には、肺炎と思われる不整陰影が認められる。

仮に、右エックス線像には、肺うっ血しか認められないとしても、うっ血像によって肺炎像の読影が困難になっているためであって、それによって肺炎が否定されるものではない。

(ウ) 亡安次郎の右同日の血液検査の結果によれば、白血球分類で極めて異常な炎症所見(st〇%・seg八二%)を示している。

もっとも、白血球数は八四〇〇とさほど増高していないが、これは抗生物質の大量投与によって、その増高が抑えられているからである。

(エ) 亡安次郎の右同日の血沈検査の結果によれば、一時間値二五、二時間値六〇と亢進している(正常値は、一時間値が一五ないし二〇、二時間値が二四、二五ないし三〇程度である。)。

(オ) 主治医である安田善治は、以上の結果をふまえて亡安次郎の死因を急性肺炎と診断している。

(2) じん肺と肺炎との関連性

肺炎は、じん肺に必発的な感染症であり、じん肺と肺炎との関連性、因果関係は明らかである。

すなわち、じん肺患者における多量の分泌物(喀痰)の発症は、呼吸器内への分泌物の貯留を招き、タンパク栄養を細菌・ウイルスに供給して呼吸器内を細菌・ウイルスの培地としてしまう。また、粉じんの免疫系統に与える悪影響は、細菌・ウイルスに対する抗体産生にまで影響を及ぼし、抵抗減弱を招く。さらに、じん肺による肺血管系統の破壊によって、抗生物質等の薬剤が炎症患部まで到達しにくくなり、治療効果の減退をきたす。

(三) じん肺による脳梗塞の惹起

仮に、亡安次郎が肺炎のほかに脳梗塞を併発していたものとしても、脳梗塞のみにより死亡したかは不明というべきである。しかしながら、脳梗塞が亡安次郎の死亡の大きな要因の一つであったとしても、脳梗塞とじん肺との因果関係もまた否定できない。

すなわち、脳梗塞には、脳血管の動脈硬化により脳血管自体が閉塞する脳血栓と、心臓で形成された血栓が動脈血に流れ出して脳血管を塞ぐ脳血(ママ)栓とがあり、亡安次郎のように高血圧、高脂血症(高コレステロール)、糖尿病の既往症を有しない者の場合、動脈硬化による脳血栓の可能性は低く、脳塞栓と考えられるのであるが、亡安次郎において、心臓での血栓形成の原因となったのは同人の心房細動であり、そしてその心房細動の原因となったのは、以下のとおりじん肺と因果関係の認められる心疾患である。

(1) 虚血性心疾患

(ア) 虚血性心疾患とは、冠状動脈を侵し心筋に虚血をきたす疾患群を意味する病態生理学的概念であり、心筋梗塞や狭心症などがこれにあたるが、このような症例においては、心房細動を含む不整脈がその八〇パーセントないし九〇パーセントに出現する。

(イ) 虚血性心疾患の成因としては、動脈硬化が臨床上もっとも重視されているが、前記のとおり、亡安次郎の場合動脈硬化の主要危険因子は否定されており、むしろ、以下に述べるとおりじん肺がその原因と考えられる。すなわち、じん肺のような慢性肺疾患による肺性心は、虚血性心疾患を惹き起こす心臓の左心室肥大の原因となるところ、亡安次郎には、前記のとおり肺性心の疑いがあり、左心室肥大がみられた。また、慢性肺疾患による冠状動脈硬化、血液ガスの異常とそれに基づく冠血流量の変化、二次性多血症は、いずれも虚血性心疾患のリスクファクターであるところ、慢性肺疾患たるじん肺に罹患していた亡安次郎は、右リスクファクターを有していた可能性がある。

(2) 慢性関節リウマチによる心膜炎

(ア) 亡安次郎の慢性関節リウマチの既往症についてはその内容についての資料が乏しく、従って、心疾患との関連も断定はしにくいが、右既往症を有していたとした場合、慢性関節リウマチは心膜炎を惹き起こすことが多く、亡安次郎の血栓形成の原因となった心房細動は、この心膜炎によるものと考えられる。

(イ) ところで慢性関節リウマチの原因は自己抗体の産出であって、同症は自己免疫疾患の一種である。そして、粉じんの吸入にはアジュバント効果(抗体産生の異常亢進効果)があることが認められるに至っており、亡安次郎の慢性関節リウマチも粉じんの吸入によるアジュバント効果によって免疫系統に異常をきたし、本来抗体産生を生じない自己組織に対しても抗体を産生し、自己免疫疾患に陥ったものである。

従って、亡安次郎のじん肺と慢性関節リウマチはいずれも粉じん吸入の効果と認められるのであって、関連性があり、慢性関節リウマチはじん肺の続発症とみるべきものである。

(ウ) 被告は心房細動の原因を僧帽弁膜症に求めているが、それは亡安次郎の慢性関節リウマチをリウマチ熱と誤解しているためである。

(3) 血液粘稠度の亢進による血栓形成の助長

以上の心疾患に加えて、以下にみるじん肺による血液粘稠度の亢進により、血栓の形成が助長されたものと考えられる。

すなわち、じん肺等の慢性肺疾患に二次的な多血症がみられることは今日明らかとなっているが、亡安次郎の場合も、多血症の判断基準となる血液中のヘマトクリット値がかなりの回数の検査において四五ないし四九パーセントと基準値五五パーセントに近く、また、脳血管障害のリスク基準とされる四五パーセント以上に達しており、多血症と判定するまでには至っていないものの、脳梗塞の発生を容易にする素地を与えていた可能性が強い。

(四) じん肺による脳梗塞の予後不良

仮に、亡安次郎の死因が脳梗塞であり、かつ、じん肺が脳梗塞の原因となっていないとしても、じん肺のような慢性肺疾患患者に脳梗塞が発生した場合、以下の理由によりその予後は一般の場合よりも不良であり、その意味で、じん肺が亡安次郎の死亡に影響を与えたものというべきである。

(1) 第一に、慢性肺疾患の低酸素血症は、脳血管障害治療の阻害因子となる。

すなわち、慢性肺疾患患者に脳血管障害が発生すると、既に存在していた低酸素血症の影響で脳障害の治療反応を阻害するとともに、脳血管障害治療の主要な治療法である酸素吸入の効果も阻害され、酸素吸入による炭酸ガスナルコーシスの発症を考慮して酸素投与も制限されることとなるからである。

(2) 第二に、慢性肺疾患では体重減少に示されるように、全身的な体力も弱っており、脳血管障害発生時の抵抗力も減弱している。

亡安次郎の体重の推移については資料が不足しているが、少なくとも昭和五二年一月に五八キログラムあった体重が、翌五三年二月には五五キログラムに減少している。

(3) 第三に、慢性肺疾患に心筋梗塞が発生した場合致死率が増加するとの報告や、心筋梗塞時の酸素吸入の効果に関する研究から、脳梗塞についても同様の理解ができる。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち亡安次郎が粉じん作業に従事していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2の事実のうち亡安次郎が昭和四七年九月一日じん肺の健康管理区分四と認定されたこと、同五四年八月一八日に死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3の事実のうち原告が亡安次郎の妻であることは認めるが、その余の事実は知らない。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実のうち亡安次郎の胸部エックス線写真の像はじん肺の第二型または第三型と診断されていたこと、同人に心房細動がみられたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告の主張

1  亡安次郎のじん肺の程度

(一) 亡安次郎のじん肺の程度については、昭和四七年五月から同五三年二月までの診断書等によれば、エックス線写真像において第二型または第三型と診断され、一定していないが、いずれにせよその程度は中程度である。

(二) また、じん肺の合併症とされている肺結核については、昭和四七年五月実施の喀痰検査ではコロニーが検出されたものの、その後の検査では発見されず、ほとんど治癒していると考えられる。

(三) 亡安次郎に肺機能上の障害があったことは事実であるが、生死を左右するほどのものではなく、対症療法で十分治療が可能であったものである。

しかも、同人の肺機能上の障害の原因はじん肺ではなく、後に述べる僧帽弁疾患による肺うっ血であることも十分考えられる。

2  亡安次郎の死因は肺炎ではない。

(一) 亡安次郎の死亡の前日である昭和五四年八月一七日に撮影された同人の胸部エックス線写真には、肺うっ血像は認められるものの、肺炎の症状はみられない。

(二) 亡安次郎の主治医である安田善治は、既に昭和五四年七月一一日の胸部エックス線写真に肺炎が認められるとしているが、当時の血液検査において白血球数は三九〇〇で正常範囲であり、血沈も一時間値三〇ミリメートルであって、それ以前六か月間の各月測定の血沈の値と大差がなく、この時点での肺炎は認められない。

また、死亡前日の昭和五四年八月一七日においては、白血球数が八四〇〇とやや増大しているが、これはむしろ脳梗塞によって生じたものと考えられる。

3  亡安次郎の死因は脳梗塞である。

(一) 脳梗塞とは、脳血管がつまってその灌流領域に虚血が起こり、その部分の脳機能が障害される疾病であり、そのうち、他の部位にできた血栓が流れてきて脳血管につまる脳塞栓の多くは心病変に由来する血栓によるものとされ、その心疾患としては、リウマチ性あるいは動脈硬化性心疾患で心房細動を伴うものが重要な原因と考えられ、特に僧帽弁疾患のうちのリウマチ性弁膜症の左心房に生じた血栓が脳塞栓の源となることが多い。そして、最も脳塞栓の発生率が高いのは、心房細動を伴った僧帽弁狭窄症であるとされる。症状は極めて突然起る卒中発作が特徴とされ数秒ないし一、二分で神経脱落症状が起こるとされている。

脳梗塞の発作による死亡率は、脳出血の死亡率に比べると低いものの、再発時の発作による死亡率は初回の発作時の死亡率に比べると著しく高くなるとされている。(九州大学の調査によれば、初回発作による死亡率は四・三パーセントであるのに対し、再発時の死亡率は三二パーセントと高率になっている。)。

(二) ところで、亡安次郎の症状は次のとおりである。

(1) 亡安次郎は、突然意識を失い、急死に近い死亡であった。

(2) 亡安次郎がリウマチ熱に罹患していることは明らかであり、ここからリウマチ性心臓弁膜症に罹患し、これが脳塞栓の原因になったものと推測される。

このことは、亡安次郎の胸部エックス線写真像においては、心陰影が著明に拡大して、いわゆる僧帽型の形状をしていることから認められる。

(3) 亡安次郎の心電図には心房細動が認められ、しかも悪化している。

(4) 亡安次郎は、昭和五〇年一〇月に一度脳梗塞発作を起こしている。

(三) 右の(二)の症状を前記(一)の知見に照らして考えると、亡安次郎の死因は脳梗塞(そのうちの脳塞栓)と考えられる。

4  じん肺と脳梗塞との因果関係

(一) じん肺等の慢性呼吸器疾患と脳梗塞のような脳血管障害については、現在のところ、疫学的、臨床的、病理学的に因果関係はないとされている。

(二) 亡安次郎の脳梗塞は左心系の肥大拡張を原因とするものであって、じん肺による肺性心のような右心系の障害が原因ではない。

(三) 脳梗塞の原因となった心疾患としては、亡安次郎がリウマチに罹患していたことからリウマチ性心臓弁膜症が考えられる。

ところで、CAPLANは、リウマチ性関節炎を有する炭坑夫に特有な塊状巣が出現するものがあることに着目し、これをCAPLAN症候群と名付けている。従って、もし亡安次郎が同症に罹患しているとすれば、じん肺と脳梗塞との関連が問題となりうる。

しかしながら、CAPLAN症候群の場合は胸部に境界鮮明な円形陰影が両肺の全体に比較的均等にみられるが、亡安次郎の胸部エックス線写真像においてはそのような陰影がみられず、亡安次郎が同症であったとは認められない。

5  亡安次郎のじん肺は脳梗塞の予後を悪化させたものではない。

亡安次郎のじん肺の程度は、前記のとおりせいぜい中程度であって、脳梗塞の予後を悪化させる程のものではない。

6  よって、亡安次郎の死亡が業務に起因することの明らかな疾病によるものではないとして原告に遺族補償年金および葬祭料の支給をしない旨決定した被告の本件処分は適法である。

第三証拠(略)

理由

一  亡安次郎が粉じん作業に従事していたこと、昭和四七年九月一日じん肺の健康管理区分四と認定されたこと、エックス線写真の像はじん肺の第二型または第三型と診断されたこと、同人に心房細動がみられたこと、同人が同五四年八月一八日に死亡したこと、原告が亡安次郎の妻であることおよび請求原因第4項の事実(本件処分および審査請求等)は、いずれも当事者間に争いがない。そして、被告の主張からみて、亡安次郎がじん肺に罹患していたこと自体は、その程度はともかくとして、明らかに争わないものと認められる。

二  そこで、亡安次郎の死亡が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて以下判断する。

ところで、労働者が疾病により死亡した場合において、その疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲については命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表第一の二が定められているので、亡安次郎の死因となった疾病が右別表に掲げる疾病に該当するか否かについて検討するに、同表第五号は、「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症又はじん肺法(昭和三十五年法律第三十号)に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則(昭和三十五年労働省令第六号)第一条各号に掲げる疾病」について定めているが、原告が本件において亡安次郎の死因として主張しているのは肺炎または脳梗塞であり、右に該らないことが明らかである。従って、本件においては、右肺炎または脳梗塞が同表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。

そして、亡安次郎が粉じん作業に従事していたことおよび同人がじん肺に罹患していたことは当事者間に争いがないところであり、従って、特段の反証のない本件においては、同人のじん肺は粉じん作業により生じたものと推認され、同人は右別表第五号に該当するものであるから、結局同人のじん肺ないしその法定合併症と同人の死因として原告の主張する肺炎または脳梗塞との間に因果関係が認められる限り、右死因となった疾病は右別表第九号の規定する疾病に該当するものと解すべきである。

よって、以下では、亡安次郎の死因およびその死因となった疾病とじん肺との因果関係について検討することとするが、その前に亡安次郎の病状の推移および同人のじん肺の程度をみておくこととする。

三  亡安次郎の病状の推移

(証拠略)によれば以下の事実が認められる。

1  亡安次郎は、昭和二六年一一月に住友潜龍鉱業所を退職した後、同四四年四月江迎病院で受診し、慢性気管支炎との診断を受け、以後同病院で治療を受けるようになったが、同四五年三月の喀痰検査でコロニー一三個が検出され、さらに胸部エックス線写真において両側下肺野を主に全肺野にわたりじん肺の粒状影をみたため、じん肺結核と診断された。

2  同人は、昭和四七年五月に至り咳嗽、喀痰、呼吸困難が激しくなり、血沈亢進がみられたため、江迎病院に入院したが、その後症状が軽快し、同年一一月一六日に退院し、同五〇年九月まで通院加療を続けた。しかし、同年一〇月脳梗塞発作を起こして再び同病院に入院し、その後十二指腸潰瘍、胆のう症等を併発して入院加療を継続し、右各疾病が完治したため、同五一年五月一四日退院した。その後、同五三年一月に至り心窩部に痛みを訴え、胃潰瘍と診断されて同月二五日から同年三月まで再び同病院に入院した。

3  同人は、昭和五三年四月以降通院加療を続けていたが、この間も呼吸困難、胸痛を訴え、咳嗽、喀痰、心悸亢進がみられ、同五四年八月八日、江迎病院の安田善治医師から、胸部エックス線写真像が悪化しているから入院するようにと勧められた。しかし、ちょうど旧盆直前の時期であったため、それが過ぎてから入院する心積もりであったところ、同月一六日午後一〇時ころ就寝した後、翌一七日早朝に至り原告が揺り起こしても返答がなく、意識喪失状態となっていた。

4  同人は、右同日午前五時ころ、意識喪失状態のまま救急車で江迎病院に入院し、直ちに酸素吸入および喀痰摘出のための吸引が施行された。入院当時、顔色不良で全身に発汗がみられ、瞳孔は散大していた。また、入院直後から同日午前七時三〇分ころまで、右手、右下肢を中心にけいれんがみられた。

血圧は入院直後最大血圧一七〇、最小血圧一一〇であり、その後も死亡直前まで、最大血圧が一三〇ないし一七〇、最小血圧が八〇ないし九〇で推移し、脈拍は、入院直後から翌一八日の午前九時ころまでは五〇ないし九〇程度であった。

しかし、体温は、右一七日午前七時三〇分の測定で三八・五度を記録して以来、一ないし三時間ごとの測定で、同日中、三八、三九度台の高熱を記録した(但し、同日午後三時の測定のみ三七・五度である。)。さらに翌一八日には、午前六時に四〇・二度を記録して以来死亡に至るまで、四〇度ないし四二度の高熱が続いた。

この間、抗生物質等が投与されたが解熱せず、意識も回復しないまま、右一八日午後一時四五分死亡した。

四  亡安次郎のじん肺の程度

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

1  じん肺の程度は、粉じん作業職歴、胸部エックス線写真像、肺機能検査、胸部に関する臨床検査等を総合して判断されるが、以下のとおりである。

2  亡安次郎の粉じん作業職歴

亡安次郎は、大正四年一〇月一五日に出生し、昭和七年から同一〇年まで麻生鉱業所で、同一一年から同一二年まで三菱炭坑で、それぞれ採炭夫として働いた後、同一六年五月から同二六年一一月まで住友潜龍鉱業所で支柱夫として働き、粉じん作業職歴は通算一五年七月である。

3  胸部エックス線写真像

(一)  じん肺とは、粉じんの吸入によって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいい、その線維化した部分は一・〇ないし一・五ミリメートルの大きさの小結節を形成し、エックス線写真上粒状影または線状、細網状、網目状等の不整形陰影として現われる。そして、吸入粉じん量が増加すると、肺胞に粉じんが充満して塊状巣を形成し、これがエックス線写真上大陰影として現われる。

従って、じん肺法では大陰影の有無、粒状影または不整形陰影の数によってじん肺を第一型から第四型までの四段階に区分し、大陰影があると認められるものを第四型とし、それ以外のものは、両肺野における粒状影または不整形陰影の数によって、その数が少数のものを第一型、多数のものを第二型、極めて多数のものを第三型としている(もっとも、以上の区分は昭和五二年七月一日の改正じん肺法(同五三年三月三一日施行)に基づくものであり、右改正前においては、じん肺を粒状影を主とするものと異常線状影を主とするものに大別したうえで、それぞれを第一型ないし第四型に区分し、粒状影を主とするものについては、粒状影の分布する範囲および密度で第一型ないし第三型を区分していた。)。

(二)  そこで、以下亡安次郎の胸部エックス線写真像について検討する。

(1) 亡安次郎が昭和四七年五月長崎労働基準局長宛に提出したじん肺健康診断等の結果証明書、同五一年から五四年にかけて労働者災害補償保険給付の受給の継続のために毎年作成された診断書(以下「労災保険診断書等」という。)によれば、同人の胸部エックス線写真像は、昭和四七年五月一五日、同五二年一月一一日、同五三年一月一一日、同五四年一月一〇日(改正前の基準によっている。)の各撮影分については粒状影第三型、同五一年一月一二日撮影分については粒状影第二型とそれぞれ診断されている。

(2) 長崎大学附属病院の医師木谷崇和は、昭和五五年一一月二一日、長崎労働者災害補償保険審査官に対する意見書で(以下「木谷意見書」という。)、亡安次郎の同五四年七月一一日撮影の胸部エックス線写真について、第二型に相当するものと診断している。

証人石川寿は、亡安次郎の同四七年一二月六日撮影の胸部エックス線写真について、改正後の基準で第二型とし、同じく同五三年一一月一一日撮影の分についても、じん肺として特に進展はないと証言している。

また、証人種本基一郎は、亡安次郎の同四七年五月一五日撮影の胸部エックス線写真について、同じく改正後の基準で第一型か非常に甘くみて第二型であると証言している。

(三)  以上によれば、亡安次郎の胸部エックス線写真像は、昭和四七年から死亡直前までを通じてじん肺法改正後の区分で第二型に該当するものと認めるのが相当である。

4  肺機能検査の結果

(一)  肺機能の検査は、肺活量の測定を基礎として行われるのが一般である(なお、肺活量測定については、肺活量、努力性肺活量、一秒量、パーセント肺活量、一秒率等の概念があるが、このうち肺活量とは各種肺活量のうち最大値を示したもの、努力性肺活量とは最大努力下に急速に呼出させたガス量、一秒量とは呼出開始から一秒間の呼出ガス量、パーセント肺活量とは肺活量と身長および年齢から算出された肺活量基準値との比、一秒率とは一秒量と努力性肺活量の比をそれぞれいう。)

なお、じん肺法の改正後は、フロー・ボリューム曲線の検査により、V25(努力性肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度)を求める方法、動脈血酸素分圧および動脈血炭酸ガス分圧を測定し、これらの結果から肺胞気・動脈血酸素分圧較差を求める方法も採用されている。

(二)  そして、改正後の基準によると、パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、または、一秒率が年齢六一歳で四七・四七パーセント、年齢六二歳で四七・〇九パーセント、年齢六三歳で四六・七二パーセント未満の場合にそれぞれ「著しい肺機能障害がある」ものと判定される(なお、改正前においては、パーセント肺活量が八〇パーセント以上で、かつ、一秒率が七〇パーセント以上のものを「換気機能正常」と取り扱っていた。)。

また、V25を身長で除した値(以下「V25/身長」という。)が年齢六三歳で〇・五一未満の場合「肺機能が相当低下している」と判定される。

さらに、肺胞気・動脈血酸素分圧較差については、年齢六三歳で三七・〇三TORRを超える場合「著しい肺機能障害がある」と判定される。

(三)  そこで、亡安次郎についてこれらをみるに、各年度の数値は以下のとおりである。

(ア) 昭和五二年一月(年齢六一歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量) 四〇パーセント

一秒率 七五パーセント

(イ) 同五二年一〇月二一日(年齢六二歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量) 五〇パーセント

一秒率 三七パーセント

(ウ) 同五四年一月一六日(年齢六三歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量) 五七・七パーセント

一秒率 六二・六パーセント

V25/身長 〇・二五

肺胞気・動脈血酸素分圧較差 三三・六二TORR

(四)  以上によれば、亡安次郎の肺機能障害の程度はかなり進んでいることが窺われるが、一秒率の数値にはかなり極端な変動があり、またパーセント肺活量の数値は徐々に改善されているなど、この検査の数値が被検者の対応等によって影響を受けることを示唆しているものとも考えられる。

5  胸部臨床所見

亡安次郎の呼吸困難の程度は、前記労災保険診断書等によれば、ヒュー=ジョーンズの分類で、昭和四七年第Ⅱ度(同年齢の健康者と同様に歩くことに支障はないが、坂や階段は同様に昇れない者)、同五一年、五三年が第Ⅲ度(平地でも健康者なみに歩くことができないが、自己のペースでなら一キロメートル以上歩ける者)、同五二年、五四年が第Ⅳ度(五〇メートル歩くのに一休みしなければ歩けない者)とされており、次第に悪化していることが認められる。

また、咳や痰、心悸亢進の症状は継続的に認められる。

6  なお、亡安次郎は、昭和四七年五月の喀痰培養検査の結果、コロニー一三個の検出をみたことは前認定のとおりであり、その結果、活動性の結核であると診断されているが、その後の検査においては結核菌は検出されておらず、また、胸部エックス線写真上も明確な肺結核像は認められず、同人の肺結核は、仮に治癒していないとしても、かなり軽度のものと認められる。

また、前記のとおり、亡安次郎が昭和四七年九月一日、じん肺の健康管理区分四の認定を受けたことは当事者間に争いのないところであるが、じん肺法改正前の当時の区分では、管理区分四の認定を受けるのは、胸部エックス線写真の像が第四型以外の場合(右4で認定した事実によれば、亡安次郎は、第四型以外と認められる。)にあっては、高度の心肺機能の障害その他の症状があると認められるか活動性の肺結核があると認められることが必要である。ところで、亡安次郎が右いずれの場合として管理区分四の認定を受けたものであるかは証拠上明らかではないが、右のとおり、管理区分認定の直前に活動性の肺結核があると診断されているところから、そのことを理由とされた可能性も否定できないところである。

そして、亡安次郎がじん肺の終末的症状といわれる肺性心にまで達していることを認めるに足りる証拠はない。

7  以上の事実を総合すると、亡安次郎のじん肺の程度については、胸部エックス線写真像と肺機能検査、臨床症状との間に重症度の違いがみられ、一概には決し難いのであるが、大まかにいえば中等程度と認めるのが相当である。

原告は亡安次郎のような炭坑夫じん肺においては、典型けい肺に比べて肺の線維化の程度は弱く、その重症度の判断にあたっては、胸部エックス線写真像のみでなく、それに現われない気管支変化、気腫性変化に注目すべきである旨主張するところ、(証拠略)によれば、右主張自体は正当なものを含んでおり、じん肺法にもその趣旨が反映されているものというべきであるが、亡安次郎について死体解剖はされておらず、右各変化を直接知る資料はないのであるから、結局のところ右1ないし6で認定した各事実を総合して判断するほかなく、これによれば右7の結論に至るものというべきである。

五  亡安次郎の死因

原告は、亡安次郎が肺炎により死亡したものと主張するので、この点について判断する。

1  (証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  亡安次郎は、前認定のとおり、昭和五四年八月一七日早朝意識を失ったまま江迎病院に入院したが、午前七時四〇分に三八・五度の高熱を記録して以後、同日は、午後三時に三七・五度に下がった以外は、終日三八度ないし三九度台の高熱が続き、翌一八日は、午後一時四五分に死亡するまで、四〇度ないし四二度の発熱が続いた。

(二)  右八月一七日に実施された亡安次郎の血液検査の結果によれば、白血球分類においてStの値が〇パーセント(正常値は三ないし六パーセント)、Segの値が八二パーセント(正常値は四五ないし五五パーセント)といずれも異常な値を示しており、これは炎症の存在を窺わせるものである。

(三)  右同日の亡安次郎の血沈検査の結果によれば、一時間値が二五、二時間値が六〇であって、正常値に比して亢進している。

(四)  亡安次郎の治療にあたった江迎病院の医師安田善治は、昭和五四年九月江迎労働基準監督署長宛に提出した意見書(以下「安田意見書」という。)において、脳梗塞の併発を認めながらも、直接死因は急性肺炎であると述べ、その理由として右八月一七日に撮影された胸部エックス線写真に肺炎像を認め、さらに、同年七月一一日撮影の同写真において既に肺炎とも思える不整陰影が軽度ではあるが認められることを挙げている。

以上の事実は、肺炎による死亡を疑わせるものということができる。しかしながら、他方、次の諸事実も認められる。

(五)  肺炎であるか否かの診断においては、白血球数の増加の有無がかなり重要な要素をなすが、亡安次郎の前記八月一七日の血液検査の結果によれば、白血球数は八四〇〇であって、正常範囲の四〇〇〇ないし八〇〇〇と比較してもさほど増加していない。原告は、右結果は抗生物質の投与により、白血球数の増加が抑えられたためであると主張し、実際、同日には抗生物質であるリラシリンとセフアメジンが各二グラムずつ投与されているのであるが、右血液検査のための血液の採取時期と右抗生物質の投与の時期との先後も明らかでないから、抗生物質の投与により白血球数の増加が抑えられたものと断ずることはできない。

(六)  亡安次郎の昭和五四年八月一七日撮影の胸部エックス線写真について、木谷意見書、長崎労働基準局医員石川寿作成の同年一一月二八日付意見書、証人石川寿、同種本基一郎は、いずれも肺炎像はみられず、むしろ肺うつ血像がみられると述べている。また、木谷意見書は、同年七月一一日の胸部エックス線写真について、はっきりした肺炎と思われる陰影の出現は認め難いとしている。

(七)  高熱は、肺炎の場合に限らず、脳血管障害により温熱中枢のバランスが崩れて生じる場合や、一般的に炎症によって生じる場合があり、脳血管障害に付随した感染症によって高熱を発することもある。

(八)  前記安田意見書においても、死因を急性肺炎と断定しているものではなく、「症例は昏睡に陥入り脳幹障害の症状も認む。翌日死亡に至るもので、脳の主幹動脈の閉塞を否定することは出来ないと思う。又既応歴に脳梗塞発作(S五〇年)を認めており、この点のみから判断すれば相当重篤であったと言わざるを得ない。」、「脳梗塞を発生した症例にて肺炎併発は脳梗塞が故の二次的発生が充分にかんがえられる。」などと記述している部分がある。

(九)  亡安次郎の労災診療録によれば、昭和五〇年一〇月分に、同月四日ないし五日に言語障害がある旨の記載、同五一年四月分に、五〇年一〇月二日脳軟化症発作の記載があり、右安田意見書の記載をも併せ考えると、亡安次郎は、同五〇年一〇月に脳梗塞発作を起こしたものと認められる。

そして、死亡前日の同五四年八月一七日にも、意識喪失、左片麻痺など脳障害を疑わせる症状を示している。

(一〇)  加えて、亡安次郎には、遅くとも昭和五一年ころから死亡に至るまで心房細動が認められる(同人に心房細動がみられることは当事者間に争いがない。)。

そして、心房細動の場合、心房内に血液が淀んで血栓が形成され、これが脳血管まで運ばれて脳梗塞を発生させることが多い(脳梗塞は脳の虚血性病変であって、その中には脳動脈の硬化によりその狭窄または閉塞を招く脳血栓と心病変等により他所に形成された血栓が脳血管に運ばれこれを閉塞する脳塞栓とがあるが、亡安次郎の場合、動脈硬化の原因となる高血圧症、高脂血症や糖尿病は認められず、脳血栓の可能性は低い。)。

2  以上の事実が認められ、これらを総合すれば、前記(一)ないし(四)の事実があるからといって亡安次郎の死因を肺炎と認めるのは相当でなく、かえって、同人の死因は脳梗塞(そのうちの脳塞栓)と認めるのが相当である。

六  じん肺と脳梗塞との因果関係

原告は、仮に亡安次郎の死因が脳梗塞であるとしても、じん肺により虚血性心疾患または慢性関節リウマチに基づく心膜炎が惹き起こされ、これによる心房細動によって、心臓に血栓が形成され、脳梗塞が発生したものである旨主張するので、以下この点について判断する。

1  虚血性心疾患について

(一)  原告は、亡安次郎には肺性心の疑いがあり、これが心筋梗塞または狭心症という虚血性心疾患を惹き起こし左心室肥大を招いた旨主張するのであるが、亡安次郎に肺性心を認めるに足るだけの証拠がないことは前記のとおりである。また、(証拠略)によれば、肺性心は肺動脈末梢の抵抗増加により右室の負担過重、肥大拡張を招くものであって、よほど重症のものでない限りそれが左心にまで及ぶことは考えられないところであるが、亡安次郎のじん肺の程度が重症とまではいえないこと前記のとおりとすると、この点からも原告の主張は理由がないものといわねばならない。そして、原告がその主張の根拠とする「じん肺羅患者の合併症(第四報)」(甲第一〇号証)においても、「肺性心の左室肥大は一般に軽度であり、それ自体が心筋梗塞の発症要因となることは稀であろう」と述べているところである。

(二)  また、原告は、慢性肺疾患による冠状動脈硬化、血液ガスの異常とそれに基づく冠血流量の変化、二次性多血症がいずれも虚血性心疾患のリスクファクターである旨主張するが、亡安次郎にこれらの症状がみられたことについての具体的な証拠はなく、右一般論を直ちに本件に適用することもできないから、この点の原告の主張も理由がない。

(三)  なお、原告は、慢性肺疾患による血液粘稠度の亢進が血栓の形成を助長するとし、亡安次郎の場合もヘマトクリット値が脳血管障害のリスク基準とされる四五パーセント以上に達していた旨主張するのであるが、右基準によっても亡安次郎のヘマトクリット値はその前後であり(特に、<証拠略>によれば、亡安次郎の死亡直前の昭和五四年七月においては四三パーセント、同年八月においては四四パーセントといずれも正常値である。)、そこから血栓形成の助長までを推認することはできないものといわねばならない。

2  慢性関節リウマチに基づく心膜炎について

(一)  亡安次郎のリウマチ性疾患についての資料はさほど多くはないが、(証拠略)によれば以下の事実が認められる。

(1) 亡安次郎の看護記録の中には、「昭和三一年に関節が痛くなり、徳田病院にて受診す。その結果関節炎リウマチと診断され、その後二―三日に一回注射及び薬にて、治療通院す。」(昭和五〇年六月ころ作成)、「S三九年よりS五〇年四月までリウマチじんぱいにて入院し」(昭和五一年五月作成)との各記載があり、また、前記安田医師作成の昭和五二年一月付労働者災害補償保険診断書添付資料には、「多発性関節リウマチに依る体幹の機能障害にて一級取得」との記載がある。

また、亡安次郎の妻である原告も、長崎労働者災害補償保険審査官の聴取に対して、亡安次郎は四一歳のとき関節リウマチにかかり一二ないし一三年ほど治療していた旨のべている。

(2) ところで、リウマチ性疾患とは、運動器の疼痛性疾患であると定義され、多種多様の疾患を含むが、そのうち代表的なものはリウマチ熱と慢性関節リウマチであり、これらはいずれも多関節炎の症状を伴う。両者の区別は、リウマチ熱は急性の疾患であり、若年者(一五歳以下)に多く、発熱・発汗の全身症状があり、急性、移動性、一過性の多関節炎を伴うのに対し、慢性関節リウマチは進行性、慢性で、後に変形、機能障害を残し、症状がおさまってもあくまで緩解であって、治癒とは認められないことが特色である。

また、慢性関節リウマチ患者の血清中には、変性IgGに対する抗体であるリウマチ因子(RF)がみられ、RAテスト(latex粒子に変性ヒトIgGを結合させた試薬を使用し、スライドグラス上で被検血清と混ぜその凝集をみる方法)において他のリウマチ性疾患より高率の陽性率を示す(例えば、慢性関節リウマチの陽性率が八〇パーセントであるのに対し、リウマチ熱の陽性率は二〇パーセント以下である。)ところ、亡安次郎の昭和四九年一二月のRAテストの結果は陽性を示している(なお、同人についてのRAテストの実施は証拠上この一回だけである。)。

右各事実によれば、亡安次郎は慢性関節リウマチに罹患していたものと認めるのが相当である。

(二)  ところで、原告は、亡安次郎が慢性関節リウマチにより心膜炎を起こし、これが心房細動の原因となった旨主張するので、この点について検討するに、(証拠略)によれば以下の事実が認められる。

(1) 慢性関節リウマチの心病変中もっとも頻度が高いのは心膜炎であるとされるが、亡安次郎が実際に心膜炎を起こしていたことを示す所見はない。

(2) 他方、亡安次郎の昭和四七年一二月六日撮影の胸部エックス線写真においては既に心陰影の拡大がみられるが、同人の死亡前日の同五四年八月一七日撮影の同写真においては心陰影は著明に拡大し、心胸比は五九・四パーセントに達している(心胸比とは胸郭の横幅に対する心臓の横幅の比率をいい、正常では四五ないし五〇パーセント程度である。)、その拡大の形態は、左第一弓から同第四弓へと直線状に拡大し、さらに右第二弓も拡大していわゆる僧帽型の形状を示している。そして、このような拡大の形態となる原因としては、左心房と左心室との間にある僧帽弁の障害、すなわち僧帽弁膜症の場合が一番多い。また、僧帽弁膜症の場合、左心房さらには肺血管への負荷増大により肺うっ血が起こることがあるが、亡安次郎の前記昭和五四年八月一七日撮影の胸部エックス線写真においては前認定のとおり肺うっ血像がみられる。

(3) そして、心房細動の原因疾患としては、僧帽弁膜症がもっとも重視されており、心膜炎自体は心房細動の原因とされてはいない。

(4) 以上によれば、亡安次郎の心房細動の原因は心膜炎ではなく、かえって僧帽弁膜症と認めるのが相当である。

(5) ところで、慢性関節リウマチと僧帽弁膜症との関係については、これをあまり積極的に認めない見解(<証拠略>)と僧帽弁膜症をリウマチ性心内膜炎ないし関節リウマチに基づく急性心内膜炎の続発症として慢性関節リウマチとの因果関係を認めるかのごとき見解(<証拠略>)とがあり、必ずしも明らかではなく、また、リウマチと僧帽弁膜症との因果関係を肯定する証人種本基一郎の証言も、そこにいうリウマチが慢性関節リウマチを指すものか否か明らかでなく、結局、亡安次郎の僧帽弁膜症が同人の慢性関節リウマチに起因するものであるか否かは明らかではないものといわなければならない。

3  慢性関節リウマチとじん肺との因果関係

なお、原告は、慢性関節リウマチをじん肺の続発症である旨主張するので、仮に慢性関節リウマチと心房細動の原因となった僧帽弁膜症との間に因果関係があるものとしてこの点について検討しておくこととする。

(証拠略)によれば以下の事実が認められる。

(一)  慢性関節リウマチの原因については、同症の患者に変性IgGに対する抗体であるリウマチ因子(RF)が発見されており、自己免疫疾患的色彩の濃いことはほぼ定説となっている。

(二)  他方、粉じんにアジュバント効果(各種の抗原に対して抗体産生を高める作用)を認め、じん肺や慢性関節リウマチ等を右効果に基づく自己免疫疾患(本来免疫寛容であるはずの自己に対して抗体を産生する疾患)として粉じん暴露に基づく並列的な疾患として捉える研究が進んでいる。従って、この見解によれば、慢性関節リウマチをじん肺の続発症とみることはできないとしても、粉じん作業との因果関係が認められることとなる。

しかしながら、右見解は研究途上にあって、右見解の主唱者自身も、自己免疫疾患の発症要因として粉じんのアジュバント効果のほかにT細胞、B細胞の機能異常の可能性を考える必要のあることを指摘しており、現段階では未だ大方の支持を得るまでに至っていない。

(三)  なお、カプランは、リウマチ性関節炎を有する炭坑夫に特有な塊状巣、すなわち、境界鮮明な円形陰影で、両肺野全体に比較的均等に分布するものがあることに注目し、これをカプラン症候群と名付けたが、亡安次郎の胸部エックス線写真には右のような特徴は認められず、同人がカプラン症候群に罹患していたことを認めるに足る証拠はない。

(四)  以上によれば、亡安次郎の慢性関節リウマチをじん肺の続発症と認めることができないのはもちろんのこと、未だ同人の粉じん作業に基づくものと認めることもできないものといわねばならない。

七  じん肺による脳梗塞の予後不良について

まず、原告は、じん肺による低酸素血症により、亡安次郎の脳梗塞の予後が不良であった旨主張する。確かに、成立に争いのない(証拠略)によれば、一般にじん肺の患者には低酸素血症が伴うことが認められる。しかしながら、亡安次郎の低酸素血症がどの程度であったかについてはこれを明らかにする証拠はなく、従って、それが脳梗塞の治療を阻害したものであるかは明らかでない。また、低酸素血症を考慮して酸素投与が制限されることを認めるに足りる証拠もない。

次に、原告は、じん肺による全身的な体力の低下が脳血管障害に対する抵抗力を減弱させた旨主張するが、これも一般論にすぎず、原告の主張する体重減少だけでは、亡安次郎の死因となった脳梗塞の予後に影響を与えたことを認めるに足りないものといわねばならない。

そして、心筋梗塞の予後に慢性肺疾患が与える悪影響を脳梗塞の場合にも同様に妥当するとして、亡安次郎の慢性肺疾患としてのじん肺が、その死因となった脳梗塞の予後を不良ならしめてその死亡の致死率を高めるとする原告の主張もこれを認めるに足りる証拠がない。

八  以上のとおりであって、亡安次郎の死因は脳梗塞であり、これとじん肺との間に相当因果関係を認めることはできない(原告は、じん肺と死亡との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、この見解は採用しない。)。従って、亡安次郎の死因は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾患」に該当しないから、亡安次郎の死亡は業務に起因するものではないとして原告の労災保険給付の申請を却下した被告の本件処分は適法であり、その他これを取り消さなければならない違法は認められない。

九  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 池谷泉 裁判官 大須賀滋)

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